青春に国境はない――2026年上海市大学留学生卒業生メッセージ
Aug 21, 2026
はじめに
今年もまた、卒業の季節が巡ってきた。2026年の盛夏、上海の各大学で学ぶ留学生たちはまもなく学業を終え、上海に残って就職や進学の道を歩む者もいれば、世界の彼方へ旅立つ者もいる。開かれた包容力あふれるこの街で、彼らは幾年もの時を重ね、文化と国境を越えて成長を遂げた。黄浦江のほとりの教室から路地裏に息づく人の情けまで、深夜の論文執筆から舞台での自信に満ちた表現まで――復旦大学、華東師範大学、上海外国語大学、上海財経大学、上海大学の5大学で、私たちは若者たちの卒業に寄せるメッセージを記録した。彼らは中国の物語の証人であり、参加者であり、いま、その語り手になろうとしている。
復旦大学:星々は輝き、それぞれの海と山へ

復旦大学に学んだ留学生卒業生のメッセージは、色鮮やかなパズルのようだ。ドイツ出身の廖賽賽(Audrey Jennifer Stucke)さんは、コンピューター科学の緻密な世界と、バスケットボールやバンドの躍動の間を軽やかに行き来した。「技術が最後にたどり着く意味は、その温もりにあります。」そう彼女は語った。復旦大学は彼女に「自由な土壌」を与え、「愛と情熱に支えられた夢」を追う勇気をもたらした。

モンゴル出身の思思(Tsatsral Chuluunbaatar)さんは管理学院を卒業し、授業での議論、グループワーク、論文執筆の一つひとつを覚えている。「復旦大学が教えてくれたのは知識だけではなく、未知に勇敢に向き合い、自分を越え続ける力です。どこへ行っても、自分が復旦大学の一員であることを忘れません。」

4年前、バンコクから一人で上海にやって来たタイ出身のPreechaya Oonchittiさんは、自信を失いかけた時期もあったが、復旦大学の「自由にして無用」という精神の中で勇気を見いだした。復旦大学タイ学生会を再始動させ、中外交流協会の部長を務め、実践を通じて自分自身を見つめ直した。「もし時間を4年前に戻せたとしても、私は迷うことなく復旦大学へ向かいます。」

マレーシア出身の温潤美(June Ung Yuen May)さんは、上海医学院臨床医学専攻を卒業したばかりだ。6年間を振り返り、「故郷を離れて学ぶ私たちに、知識だけでなく、家庭のような温もりも与えてくれた復旦大学に感謝します」と語った。そして仲間たちに、「たとえ行く手に風雨があっても、揺るがず歩み続け、山と川の彼方でまた巡り会い、頂で会いましょう」とエールを送った。

アメリカ出身の卓盈(Ivy Zhuo)さんの卒業メッセージには、深夜に論文を書きながら抱いた自己不信、表彰台でこぼした熱い涙、午前2時の寮で漏らした寝言までが詰まっている。「泣いて、笑って、力を尽くし、そして手放すことも覚えました。この4年間に恥じることはなく、つまずきながらも本当には諦めなかった自分にも、胸を張れると思います。」

ロシア出身のAnna Iliasovaさんは、国際関係・公共事務学院の修士課程を修了した。「毎日ひたむきに中国語を学んでいた18歳の少女」を思い起こす彼女は、いまや復旦大学でマラソンを走り、ローマへの交換留学を経験し、国際学会の壇上にも立った。「かつての幼い自分が、今日のあなたを心から誇りに思っていることを、どうかいつまでも忘れないでください。」

トーゴ出身の馬林飛(Mawuto Koudjo Felix Doumegna)さんは、復旦大学とフィンランドのトゥルク大学によるダブルディグリー修士プログラムの学生である。研究を前に途方に暮れていた当初から、いまではロボット知能システムの研究を自立して進められるまでになった。「復旦大学が私に与えてくれたのは、学位記だけではなく、学び続け、探求し続ける精神です。」

ブラジル出身の博士課程学生・石昊(Pedro Steenhagen)さんと復旦大学との縁は、2018年のサマースクールに始まった。2021年に博士課程進学のため復旦大学へ戻り、ドラゴンボートチームの一員として銅メダルも獲得した。「復旦大学はすでに私の人生の一部であり、これからも永遠に、もう一つの故郷であり続けます。」

華東師範大学:「師範大学の子たち」は、確かな力を胸に世界へ
華東師範大学の2026年度卒業式で、アメリカ人留学生の宋莉楽(Mahoney Lile Song)さんは壇上に立ち、流暢な中国語で、多くの人の胸を打つ言葉を語った。
彼女は華東師範大学のキャンパスで育ち、小学校も中学校も附属校に通った。「真理を求め創造し、人の師たる模範となる」という言葉は、まだその意味を十分に理解できなかった頃から、彼女の幼年時代に刻まれていた。中国とアメリカにルーツを持つ彼女は、「自分が違うことを心配したことはなく、華東師範大学の多様性と包容力に抱かれ、迷うことはほとんどありませんでした」と語った。


学部4年間、宋莉楽さんは新華社やチャイナ・デイリーなどのメディアと協力し、中国中央テレビや地方テレビ局の文化番組の収録に参加して、国際的な視点からありのままの多様な中国の物語を伝えようと試みた。大学が築いた多様な空間に特に感謝し、「毎年の国際文化祭では、故郷の踊りを踊る人、郷土料理を用意する人、国旗を掲げて胸を張る各国の代表がいます――多様性を認め合う空間は、多様な一人ひとり、受け入れる心、そして平等の原則から生まれるのです」と語った。
卒業を迎える仲間たちに、彼女は温かく力強い言葉を贈った――「どこへ向かおうとも、私たちは永遠に『師範大学の子たち』です。私たちには、異文化コミュニケーションの重責を担い、世界をより良くしていく責任があります。ここで得た勇気、優しさ、力を胸に、複雑な世界と向き合いながら、心の純真さを守り続けられますように。」
上海外国語大学:「第二の故郷」から中国学への道へ
ロシア出身の若者・李龍(Artem Petrosian)さんにとって、中国への留学は決して容易な決断ではなかった。上海外国語大学に来る前に、すでに経営学と英語翻訳の二つの学位、そして国際プロジェクト管理の修士号を取得していた。それでも彼は語る――「話せる言語の数だけ、人は異なる自分を持つことができます。言語を学ぶ意味は、単に意思疎通の道具を身につけることではなく、ものの見方を新しくすることにあります。」
ロシア人民友好大学で出会った中国人の友人、モスクワの街角で接した親切で朗らかな中国人、孔子学院で1年間学んだビジネス中国語――それらに導かれ、彼は上海外国語大学の国際中国語教育専攻を志した。「真の中国学研究者になるには、ロシア語や英語だけに頼って中国を研究するのではなく、中国語を使わなければなりません。」



学部3年次、鹿欽佞先生による『中国概況』の授業は、彼に深い影響を与えた。「あの授業は一枚のパズルのように、それまで蓄えてきた断片的な知識を、一つの完成した絵へと組み上げてくれました。」そこから研究の方向は明確になり、まもなく華東師範大学の博士課程へ進み、中国企業の海外展開モデルを研究する。
教室を離れれば、李龍さんは2025年の「上海の魅力発信アンバサダー」でもある。家族や友人を四行倉庫へ案内して英雄たちの物語を語り、SNSや海外向けソーシャルメディアで上海の日常を発信し、中国語、英語、ロシア語を使って、さまざまな国の人々に温もりある上海を伝えた。「国際発信は、メディアだけに許された高みにあるものではなく、私たち普通の一人ひとりが、生きた窓なのです。」
最も心を打つ一幕は、卓球台の前で生まれた。彼は上海の地元に暮らす一人の高齢男性と出会い、卓球を教わり、人生の知恵を分かち合い、冗談交じりに「義理の息子にならないか」とまで言われた。二人はともに旅をし、一緒に春節を祝った。「小さな一個の卓球ボールが、私と上海の人々との縁を結び、中国とロシアが家族のように親しむ真心を物語っています。」
卒業式で、李龍さんは「卒業生広報アンバサダー」に選ばれた。彼は、「上海外国語大学という池で、私は喜んで、帰る場所を得た一匹の小亀になります」と語った。折しも2026-2027年「中国・ロシア教育年」が幕を開け、彼の物語は、教育を通じて心を結ぶ無数の中国とロシアの若者たちの縮図となっている。
上海財経大学:Never Stop Trying
ロシア人留学生・百倫さんの人生は、偶然が連れてきた驚きの連なりのようだ。
少年時代、周囲の人々と同じようにヨーロッパやアメリカへの留学も考えたが、最後に彼は、「何か違うことを試し、中国へ行こう」と決めた。高校1年で中国へ渡り、それ以来、この地に根を下ろしてきた。いまでは大学院を修了し、上海で家庭と仕事の基盤を築き、自ら貿易事業を営んでいる。
だが、すべてが順風満帆だったわけではない。2019年に始まったコロナ禍によって、上海財経大学の学部で学ぶ計画は狂い、ロシアでオンライン授業を受けながら、レストランの厨房で働いた。狭い厨房、蒸し暑い油煙、逆転した時差、世話を必要とする家族――その頃、彼は自らの未来を改めて考えた。


幼い頃の料理人になる夢は、より現実的な選択に取って代わり、両親の足跡をたどってビジネスの道へ進んだ。だが百倫さんは、それを夢への裏切りだとは思っていない――「自分が選んだもう一つの人生を見つめ、家族を風雨から守る腕を持てたいま、私はもう誰も羨みません。」
迷ったのか?もちろん、迷った。「私は毎日、困難を経験しています。たとえば最近の貿易事業は、まったく知らない分野に関わるもので、ほかに道はなく、学び続けるしかありません。」彼はこう語った――「最初から『正しい』『間違い』にこだわるのではなく、まずやってみる、実行してみることで、あらゆる可能性が開かれます。」
後悔したことは?「自分が選ばなかった決断について考えることはありません。」彼は笑ってそう言った。もしあの時、偶然、道路の向かいにあるレストランへ足を踏み入れていなければ、美しいバリスタ――いまの妻――と出会うこともなく、あの経験がなければ、ビジネスを学ぼうとは思わず、今日のすべてもなかったかもしれない。
「Never stop trying」――それが彼の毎日の座右の銘だ。「もう待たないでください」と彼は語る――「自分の水の流れを見つけ、懸命にその流れについていくのです。その過程は、絶え間ない挑戦、打破、学び、そして時には失敗からできています。」
故郷の話になると、百倫さんは静かになった。窓の外には人波の絶えない上海が広がり、ガラスには顧客とプロジェクトを語る彼の期待に満ちた姿が映っている。ロシアの森で草の上に寝転び、風の音を聴いた日々をいまも懐かしむが、振り返ろうとはしない。「あの少年は故郷を離れてすでに長い年月を重ね、挑戦への憧れを胸に、無限の可能性に満ちた未来へ、これからも歩み続けます。」
上海大学:故郷を胸に、カメラを手に
エルサルバドル出身の莫嬌茵(Monica Gabriela De Paul Sales)さんは、地球を半周して上海大学上海美術学院へ渡り、デジタルメディアアートを学んだ。
大学に来たばかりの頃、最大の試練は孤独だった。「上海大学はもちろん、上海全体を見ても、エルサルバドルからの留学生は多くありません。」しかし、教員や学生たちの温かな気遣いに支えられ、つらい時期を乗り越えた。いまでは中国やほかの国々に多くの友人ができ、それは4年間で得た最も大きなものの一つとなった。


中国語でデジタルメディアアートを学ぶことを、彼女は「二つの成長」と捉えている。「言葉はかつて重圧でしたが、少しずつ、自分を越えるための橋になりました。」卒業制作『她線』では、女性の経験と刺繍という媒体との関係に目を向け、アンケートで女性たちのありのままの声を集め、その言葉をインスタレーションの音と記号へと変換した。作品は優秀作品に選ばれ、WDCC2025世界デザイン都市会議および第13回上海芸術展にも出展された。
4年間、莫嬌茵さんは「海翼」国際学生合唱団のメンバーとして活動し、『上海日報』『文匯報』にもたびたび登場した。撮影に参加した豫園灯会のフラッシュモブ新年動画『灯如繁華』は大きな注目を集め、エルサルバドルをはじめ各国の多くの友人が、彼女の動画をきっかけに中国を訪れ、学ぶようになった。「上海は私に、アイデンティティーの違いは壁ではなく、創作の源なのだと教えてくれました。」
これから中国へやって来る後輩たちに、彼女は真心のこもった言葉を贈った――「故郷を想うことは弱さではなく、ふるさとを大切に思う心の表れです。夢を追いかけることは傲慢ではなく、自分自身との約束を貫くことです。皆さんにも孤独や迷い、諦めたくなる時が訪れるでしょうが、故郷は皆さんの心にあり、未来は皆さんの手の中にあることを忘れないでください。たとえ歩みが遅くても、前へ進み続けるなら、いつの日か必ず、自分だけの光へたどり着けます。」
おわりに
復旦大学の多彩な卒業生たちから、華東師範大学の「師範大学の子たち」へ、上海外国語大学での中国学への探求から、上海財経大学の立ち止まらない歩みへ、そして上海大学の異文化を結ぶ創作へ――5大学の数十人の留学生卒業生は、それぞれの方法で同じ物語を語り、上海で進むべき方向を見いだし、居場所を得て、故郷を胸に世界へ歩み出す術を学んだ。
卒業は別れであり、同時に旅立ちでもある。ここに残る人も、遠くへ行く人もいるが、黄浦江のほとりで過ごした歳月は、心の中で色褪せることのない座標となった。ある卒業生が語ったように、「道は遠くなく、角を曲がれば、また会える。」2026年度、上海の大学を巣立つすべての留学生卒業生の前途が大きく開け、いつの日か再び巡り会えることを願っている。
出典:復旦大学、留学上海、上海大学、上海財経大学、華東師範大学
