二十四節気・穀雨
study.edu.sh.gov.cn Apr 20, 2022
二十四節気・穀雨
谷雨[gǔ yǔ]
「穀雨」の意味:
「穀雨」は二十四節気の第六の節気、春の季節の最後の節気、古人の「雨生百穀」の説に由来するもの。
古籍の『月令七十二候集解』には「三月中、雨水を過ぎ、土壌中の養分が豊かになり、今雨が降り、雨水で穀物が潤い…この時期に種を蒔けば、水分が雲から雨に化し、土を潤すので、種蒔きの絶好の気候である」との記載があった。「穀雨」は「穀」と「雨」を結びつけ、「雨生百穀」(雨水が百種の穀物を潤し、芽を出させること)の意味が込められており、「穀雨」の農業における気候的な意味を反映した。
物候の特徴:
春が過ぎ、夏が来る。穀雨時節に入ると、気温がさらに上がり、降雨量が増える。
中国の古人は穀雨時節の十五日を三候に分けた。
一候は萍始生(うきくさ はじめて しょうず) : 浮き草が芽を出し始める。
二候は鳴鳩払其羽(めいきゅう その はねを はらう) : 鳴鳩(イカル)が羽を払う。
三候は戴勝降于桑(たいしょう くわに くだる) : 戴勝(ヤツガシラ)が桑の木に止まる。「楊花落ち尽くして子規啼く」がいう通りに、この頃、柳絮が落ち尽くし、ホトトギスが夜に鳴き、牡丹が開花し始め、さくらんぼが成熟する…自然景観は春の終わりを告げる。
また、穀雨の花信風は、一候は牡丹の花、二候は荼蘼(どび)の花、三候は楝(おうち)の花。牡丹の花は穀雨花とも呼ばれ、節気にちなんで名づけられた花。楝の花は春の終わり頃か夏の初め頃咲き始め、二十四番花信風の最後の花。南朝梁の宗懍(そうりん)によって書かれた『荊楚歳時記』では「梅の花から始まり、楝の花まで終わり、これは二十四番花信風」と云う。つまり、二十四節気の小寒から穀雨までの間に、梅の花が一番先に咲き始め、最後には楝の花が咲くこと。これは花咲きと時令の関係を示すものだけではなく、農事の目安ともなっている。
民俗文化:
「穀雨前に春山へ、併手で芳煙を摘む」(唐・斉己、そろそろ穀雨になり、緑が豊かな春山へ行けば、人々は延々とした緑色の茶樹の中を行き来してお茶刈りをしている)。穀雨の習俗といえば、「穀雨茶」「走穀雨」「文祖蒼頡(そうけつ、漢字を発明したとされる古代中国の人物)を祀ること」「香椿(チャンチン)を食べること」などがある。
中国の南方では、穀雨の頃摘んだ春茶(芳煙)は「穀雨茶」と呼ばれ、柔らかくて淡く、また清々しくて絶妙な味がし、熱を冷ます効果がある。一方、北方では、「香椿(チャンチン)を食べる」という習俗があり、穀雨の前後は香椿(チャンチン)が市場に出回る頃である。また、古代に「走穀雨」の習俗があり、穀雨の当日に若い女の子たちは出かけて歩いて村を回るか、或いは郊外に出かけてきて、自然と融合し、体を丈夫にするという寓意が込められている。
漢朝以来、中国の陝西省白水県には、穀雨に文祖蒼頡を祀る習俗がある(現在の陝西省白水県史官郷には蒼頡廟がある)。伝説にとると、蒼頡は文字を作って、多大な功績を立てたため、黄帝は感動して報酬として「穀物の雨」を降らせ、「穀雨」節の起源となったと言われている。
参考:中国気象局